お年玉も小遣いも、10分の1は献金だった

子どもの頃、もらったお金を全部自分のものだと思ったことは、あまりなかった。

小遣いをもらう。

お年玉をもらう。

そのうちの一部は献金する。

だいたい10分の1だった。

1000円なら100円。

1万円なら1000円。

今なら簡単な計算だと思う。

でも当時の僕にとっては、計算というよりルールだった。

お金が入ったら、その一部を献金する。

そういうものだと思っていた。

毎週、献金をしていた

日曜日に教会学校へ行くと、献金をしていた。

小学生の頃からだったと思う。

どこまで毎回きっちり10分の1だったのか、細かいところまでは覚えていない。

ただ、収入の10分の1を献金するという考え方は、かなり早い頃から教えられていた。

僕にとっての「収入」は、大人の給料ではない。

小遣いだった。

お年玉だった。

子どもが自分で使える数少ないお金だ。

そこから献金する。

それを疑問に思った記憶は、最初の頃にはほとんどない。

親から言われれば、そうするものだと思っていた。

お年玉をもらっても、全部は使えない

子どもにとって、お年玉はかなり大きい。

普段の小遣いとは違って、一度にまとまった金額をもらえる。

何を買おうか考える。

ゲームが欲しい。

漫画が欲しい。

友達と遊びに行くときに使いたい。

そんなふうに考える前に、まず10分の1を分ける。

今振り返ると、妙な感覚だと思う。

自分で働いたわけではないとはいえ、親戚などから自分に渡されたお金だ。

それでも、最初から全部を自由に使えるわけではなかった。

もちろん当時の僕は、

「なぜ子どものお年玉から宗教にお金を出さなければいけないんだ」

なんて理屈を組み立ててはいない。

決まりだから出す。

それだけだった。

小さい頃の宗教は、そういうものが多かった。

理由を考えて参加していたわけではない。

先にルールがあって、その中で生活していた。

お金を出すことと、信じること

献金という言葉だけを見れば、信仰を持つ人が自分の意思でお金を出す行為に見える。

少なくとも今の僕は、そういうイメージを持つ。

自分が大切だと思うものに、自分で決めてお金を出す。

それなら特に不思議ではない。

でも子どもの頃の僕に、その「自分で決める」という感覚がどこまであったのかは分からない。

そもそも宗教自体を、自分で選んだわけではなかった。

教会へ行く。

祈る。

献金する。

全部が同じ生活の中に入っていた。

だから、献金だけを切り離して、

「これは自分が信仰しているから出すお金だ」

と考えたことはなかった。

信じているから払うというより、払うことまで含めて宗教の中で生活していた。

僕にとっては、そちらの方が近い。

高校生になって、自分でお金を稼いだ

その感覚が変わったのは、高校生になってからだった。

アルバイトを始めた。

初めて、自分で働いてお金をもらうようになった。

決められた時間に働く。

その対価として給料が入る。

小遣いやお年玉とは違った。

自分で稼いだお金だ、という感覚が強かった。

そこにも、10分の1を献金するという話が入ってきた。

それは嫌だった。

それまで小遣いやお年玉から献金していたときとは、感覚がまったく違った。

自分が働いて稼いだお金まで、なぜ出さなければいけないのか。

そこで初めて、はっきり抵抗した。

バイト代までは渡さなかった

小さい頃なら、親から言われた通りにしていたと思う。

でも高校生の僕は、もうそのまま従わなかった。

バイト代から献金することには抵抗した。

そして、そのお金は守った。

今考えれば、ごく当たり前のことをしただけなのかもしれない。

自分で働いたお金を、自分が納得していないものには出さない。

それだけだ。

でも僕にとっては、小さい頃から続いていたルールに逆らうことでもあった。

献金しないことで地獄に落ちる、と直接そのとき言われたかどうかは覚えていない。

ただ、宗教に従わないこと自体に抵抗がなくなってきていた。

以前なら怖かったものが、少しずつ怖くなくなっていた。

同じ10分の1でも、意味が変わった

小学生の頃も、高校生の頃も、数字だけを見れば10分の1だった。

でも僕の中では、まったく違う。

子どもの頃は、

「出すものだから出す」

だった。

高校生になると、

「これは自分のお金だから出したくない」

になった。

宗教の教えが急に変わったわけではない。

変わったのは僕の方だった。

自分で学校の外へ出るようになった。

部活を理由に教会学校へ行かなくなった。

行ったふりをしてサボるようにもなった。

アルバイトをして、自分でお金を稼ぐようになった。

少しずつ、親と宗教の外側に自分の生活ができ始めていた。

その生活の中で手に入れたものまで、当然のように宗教へ差し出すことはできなかった。

初めて自分で稼いだお金は、僕にとってただのバイト代ではなかったのかもしれない。

「これは自分のものだ」と言えるものが、ようやくできた。

だから、その10分の1だけは渡したくなかった。

教会学校をサボるようになるまで

教会学校には、かなり長い間通っていた。

小さい頃は、行くか行かないかを考えた記憶すらない。

日曜日になれば行く。

それだけだった。

でも、ずっと同じ気持ちで通っていたわけではない。

ある時期から、だんだん行くのが嫌になった。

そして僕は、少しずつサボるようになった。

日曜日だけでは終わらなかった

教会学校というと、日曜日の朝だけのものに聞こえるかもしれない。

僕の場合、それだけではなかった。

合唱にも参加していた。

毎週練習があって、遅くまで残らされることもあった。

小さい頃は言われるまま参加していたと思う。

でも年齢が上がるにつれて、だんだん嫌になっていった。

自分がやりたいわけではない。

歌いたいわけでもない。

それでも行かなければならない。

練習が終わるまで帰れない。

子どもの頃は「そういうものだ」と受け入れていた時間が、少しずつ面倒なものに変わっていった。

ある日、そのまま帰った

特に覚えている日がある。

合唱の練習だったと思う。

その日も大人から何か言われて、残るように求められていた。

でも、もう嫌だった。

僕は大人の言うことを無視して、そのまま帰った。

今考えると、大した反抗ではないのかもしれない。

怒鳴ったわけでもない。

宗教を否定したわけでもない。

ただ、帰っただけだ。

でも僕にとっては、それまでとは違った。

言われたことに従わない。

嫌だからやらない。

そんな選択をしたのは、あの頃からだった気がする。

「行かない」という選択肢

小学生の低学年くらいまでは、親に言われたことをそのまま受け入れていた。

日曜日に教会学校へ行くことも、祈ることも、宗教のルールも。

自分で選んでいる感覚はなかった。

だからこそ、行かないという発想自体がなかった。

でも成長すると、周りの生活も見えてくる。

友達は日曜日に教会へ行かない。

部活がある。

遊びに行く。

家でテレビを見る。

それでも普通に生活している。

自分だけが毎週行かなければならない理由が、だんだん分からなくなっていった。

「本当に行かなきゃいけないのか」

そう思うようになった。

中学生では、部活が理由になった

中学生になると、部活が始まった。

これは僕にとって都合がよかった。

部活がある。

だから教会学校には行けない。

そう言えるようになった。

本当に部活があった日もあった。

でも、部活があるという理由は、教会から距離を取るためにも使えた。

それまでなら、日曜日の予定は最初から決まっていた。

教会に行く。

その後に自由な時間がある。

でも中学生になると、少しずつ教会より外の予定を優先できるようになった。

僕にとっては、それだけでもかなり大きかった。

高校生になると、「行ったふり」をした

高校生になる頃には、さらに距離ができていた。

もう積極的に教会へ行きたいとは思っていなかった。

でも親には行くように言われる。

そこで、行ったふりをしてサボるようになった。

教会に向かうように家を出る。

でも実際には行かない。

今振り返ると、かなり単純なやり方だと思う。

それでも当時の僕には、それが一番楽だった。

正面から、

「もう行きたくない」

と言うよりも、行ったことにしてしまう。

その方が衝突しなくて済んだ。

まだ親と宗教について正面から話すほどには、僕も強くなかったのだと思う。

制服姿で教会へ行くのも嫌だった

高校生になると、別の嫌さも出てきた。

制服を着たまま教会へ向かうことがあった。

その途中で同級生に会ったらどうしよう、と思っていた。

「どこ行くの?」

と聞かれたら、何と答えるのか。

教会。

宗教の集まり。

そう説明するのが嫌だった。

小さい頃、友達を家に呼びたくなかったのと似ている。

宗教があること自体より、それを外の人に知られることが嫌だった。

自分の生活の中にはずっとある。

でも学校では隠したい。

その感覚は、かなり長く残っていた。

サボることで、少しずつ離れていった

教会学校をやめた日が、はっきりあるわけではない。

ある日突然、

「今日で最後にする」

と決めたわけでもない。

合唱の練習から勝手に帰る。

部活を理由に行かなくなる。

高校生になったら、行ったふりをする。

そういう小さな行動が積み重なって、少しずつ教会から離れていった。

だから僕の場合、宗教から離れたというより、

先に、宗教のある生活から逃げ始めた。

信じるか信じないかを理屈で決めたわけではない。

行きたくない。

面倒だ。

知られたくない。

従いたくない。

そういう気持ちの方が先だった。

小さい頃にはなかった「嫌なら行かない」という選択肢を、少しずつ自分で作っていった。

その頃から、親に与えられた宗教と、自分の生活は少しずつ離れ始めていた。

親が宗教活動に行くたび、僕は他人の家に預けられていた

子どもの頃、親がいない家で過ごすことが何度もあった。

親戚の家ではない。

宗教関係でつながりのある、別の家庭だった。

親が修練会や宣教に行く。その間、僕はその家に預けられる。

短いときだけではなかった。

1か月ほど預けられたこともあったし、親がアメリカへ行ったときには、半年ほど離れていたこともあった。

当時は、それも自分の生活の一部だった。

でも、居心地がよかった記憶はあまりない。

よその家で暮らす

人の家に泊まること自体は、子どもにとって珍しいことではないと思う。

友達の家に泊まれば、むしろ楽しいこともある。

でも僕の場合は、自分から泊まりに行きたくて行っていたわけではなかった。

親が宗教活動へ行く。

だから預けられる。

その順番だった。

当然、その家にはその家の生活がある。

食事の仕方も違えば、家族同士の距離感も違う。

僕はそこに入れてもらう側だった。

子どもだったから、相手の家庭が僕をどう思っていたのかは分からない。

よくしてもらったこともあったのだと思う。

それでも、自分の家ではない場所で長く過ごすことには、ずっと気まずさがあった。

自分だけが、その家の家族ではない。

そんな感覚はあった。

泣いても、どうしていいのか分からなかった

預けられていたときのことで、今でも覚えている場面がある。

何かがあって、僕は泣いていた。

細かい理由までは、もうはっきり覚えていない。

ただ、泣いていた僕はそのまま放っておかれた。

しばらくして、自分から謝りに行った。

子どもなりに、そうすれば元に戻れると思ったのだと思う。

でも、謝ったらさらに怒られた。

あのとき何が正解だったのか、今でもよく分からない。

泣いているだけでは駄目だった。

だから謝った。

それでも駄目だった。

よその家で怒られると、自分の家で親に怒られるのとは少し違う。

逃げる場所がないような感じがした。

自分はこの家の子どもではない。

だから余計に、どう振る舞えばいいのか分からなかった。

親は宗教活動をしていた

親が僕を置いて遊びに行っていたわけではない。

本人たちにとっては、宗教活動だった。

修練会に参加する。

宣教に行く。

海外へ行く。

おそらく親には親なりの理由があって、それを大事なことだと思っていたのだろう。

今の僕も、それ自体を否定したいわけではない。

ただ、親がその活動へ行くとき、残される子どもがいた。

それが僕だった。

子どもの僕には、修練会がどれほど重要なのかも、宣教にどんな意味があるのかも分からない。

分かるのは、

親がいなくなる。

自分は別の家へ行く。

しばらくそこで暮らす。

それだけだった。

半年という時間

親がアメリカへ行ったときには、半年ほど離れていた。

半年。

今の感覚で考えると、かなり長い。

子どもの半年は、大人の半年よりもっと長かった気もする。

ただ、その頃の僕が毎日親を恋しがって泣いていた、という記憶があるわけではない。

そこは自分でも少し不思議だ。

寂しかったはずだ、と今の自分から決めつけることもできない。

人間は、与えられた環境に慣れる。

子どもなら、なおさらなのかもしれない。

親がいない状態が続けば、その生活で過ごすしかない。

僕もそうしていた。

だから、当時の自分がどれほどつらかったのかと聞かれると、今でもうまく答えられない。

ただ、楽しかった記憶として残っていないことも確かだった。

宗教そのものより、生活に残っている

大人になった今、宗教の教え自体に興味はない。

何を信じるべきかを考えることもほとんどない。

でも、子どもの頃の記憶を掘り返していくと、宗教は教会の中だけにあったわけではなかったことに気づく。

日曜日の朝に教会へ行く。

家に宗教のものが置いてある。

友達を家に呼びづらい。

親が宗教活動へ行けば、他人の家に預けられる。

一つひとつは別の出来事に見える。

でも、その全部に宗教がつながっていた。

僕は教義を理解して生きていたわけではない。

ただ、その宗教を信じる親の生活の中で育っていた。

その影響を、一番分かりやすく感じるのは、もしかすると教えられた言葉より、こういう生活の記憶なのかもしれない。

当時は、それを選べなかった

親が宗教活動をすることを止めることはできない。

預けられたくないと強く言った記憶もない。

そもそも、子どもの頃の僕には、

「親が行くなら、自分はここに預けられる」

以外の選択肢があるとも思っていなかった。

嫌でも、その家で過ごす。

気まずくても、その家の中にいる。

怒られたら、自分から謝る。

そうやってやり過ごしていた。

今になって振り返れば、もっと親に甘えたかったのかもしれない。

もっと自分の家にいたかったのかもしれない。

でも当時の自分が、本当にそこまで考えていたかは分からない。

覚えているのは、よその家で過ごした時間と、そこに馴染みきれなかった感覚だ。

親が信じていた宗教について、僕自身が選べることはほとんどなかった。

そして宗教を信じるかどうかを自分で考え始めるよりずっと前から、その影響だけは僕の生活の中にあった。

「これ誰?」と聞かれるのが嫌で、友達を家に呼べなかった

子どもの頃、友達を家に呼ぶのが嫌だった。

別に、家が汚かったわけではない。

親に「友達を連れてくるな」と禁止されていた記憶もない。

ただ、家の中には友達に見られたくないものがあった。

宗教に関係する写真や壺。

もし友達がそれを見つけて、

「これ誰?」

と聞いてきたら。

そのとき、僕は何と答えればいいのか分からなかった。

だから最初から、家に呼ばない方が楽だった。

宗教は、人に話すものではなかった

自分の家が周りと違うことには、かなり早い時期から気づいていたと思う。

前の記事で書いたように、僕は毎週日曜日になると教会学校へ通っていた。

でも友達は行かない。

僕が当たり前だと思っていた日曜日を、みんなは別の過ごし方をしていた。

それだけなら、まだ「うちは少し違うんだな」で済んだのかもしれない。

家の中にも、その違いはあった。

宗教に関係するものが置いてある。

家族にとっては普段からそこにあるものでも、友達にとっては見慣れないものだ。

当然、目に入れば聞かれるかもしれない。

「これ何?」

「この人誰?」

その質問が嫌だった。

宗教についてどう説明すればいいのか、子どもの僕には分からなかった。

そもそも、説明したいとも思っていなかった。

「変だと思われるかもしれない」

実際に友達からひどいことを言われた記憶があるわけではない。

宗教のことを話して、からかわれた経験が先にあったわけでもない。

それなのに、隠したかった。

幼稚園くらいの頃から、宗教は少数派のものだという感覚があった。

みんなの家にはないものが、自分の家にはある。

みんながやっていないことを、自分はやっている。

その違いを知られるのが嫌だった。

たぶん、「変だと思われるかもしれない」という怖さがあったのだと思う。

今になって考えると、少し不思議でもある。

誰かに否定されてから隠すようになったのではない。

否定される前から、隠した方がいいと思っていた。

宗教について積極的に人に話すことはなかったし、小学生の頃に友達へ自分の家の宗教について説明した記憶もない。

自分の中では、最初から「外では言わないもの」になっていた。

友達の家に行く方が楽だった

だから、遊ぶなら友達の家の方が気楽だった。

そこでは何も説明しなくていい。

家の中を見回されても困らない。

知られたくないものが見つかる心配もしないでいい。

もちろん当時、そこまで整理して考えていたわけではない。

「宗教家庭であることを隠すため、自宅で遊ぶことを避けよう」

なんて考えていたはずもない。

もっと単純だった。

家に呼ぶのは嫌だ。

外か、友達の家で遊びたい。

それだけだった。

でも今振り返ると、その「なんとなく嫌だった」の中には、かなりはっきりした理由があった。

自分の家を見られることは、自分が他の子とは違うと知られることでもあった。

家は安心する場所のはずだった

子どもにとって、自分の家は一番説明のいらない場所のはずだ。

家に帰れば、その家のルールで過ごせる。

何が置いてあっても、それが日常だから気にしなくていい。

僕にとっても、家の中にいるだけならそうだった。

問題は、そこに外の人が入ってきたときだった。

友達が一人入るだけで、普段は気にしていなかったものが急に目につく。

この写真を見られたらどうしよう。

これについて聞かれたら何と言おう。

子どもの僕にとって、自宅は安心する場所であると同時に、外の人にはあまり見せたくない場所でもあった。

家にあるものを恥ずかしいと思うことと、親を嫌いになることは同じではない。

当時の僕は、そこまで大きなことを考えていなかった。

ただ、自分の家庭にあるものを友達には知られたくなかった。

それだけは確かだった。

「違う」と知られることが怖かった

日曜日に教会へ行く。

家には宗教に関係するものがある。

親からは、宗教の中のルールを教えられる。

それら一つひとつは、家の中では当たり前だった。

でも学校へ行けば、その当たり前は通用しない。

友達と過ごす時間が増えるほど、「自分の家だけ違う」ということも分かってくる。

それでも、小学生の僕は宗教そのものに反抗していたわけではなかった。

親に「こんなものは嫌だ」と言うこともなかった。

家では受け入れる。

外では隠す。

その二つを、特に矛盾しているとも思わずにやっていた。

友達を家に呼ばなければ、困ることはない。

「これ誰?」

と聞かれることもない。

宗教について説明する必要もない。

子どもの僕にできたのは、たぶんそれくらいだった。

日曜日の朝、僕はデジモンを見られなかった

子どもの頃、日曜日の朝にデジモンを見た記憶がほとんどない。

見たくなかったわけではない。むしろ当時はかなり流行っていたし、友達との話にも出てくる。仮面ライダーもそうだった。

ただ、日曜日の朝は家にいなかった。

たしか白いポロシャツに黒いズボンを履いて、自転車で駅まで行く。そこから電車に乗って、教会学校へ向かっていた。

朝8時半くらいから始まって、終わるのは10時頃だったと思う。

毎週、献金もしていた。

それが日曜日だった。

教会学校が終われば、午後から友達と遊ぶことはできた。それでも、子どもだから朝から遊びたかった。

デジモンも見たかった。

ただ、その頃の僕は「なんで自分だけこんなことをしなきゃいけないんだ」と強く反発していたわけではない。

うちは、そういうものだった。

みんなは日曜日に教会へ行かない

自分の家が少し違うと気づいたのは、たぶん小学生の頃だった。

理由は単純で、友達は日曜日になると教会へ行かなかったからだ。

僕にとっては毎週やっていることなのに、周りの子はやっていない。

日曜日の朝にテレビを見ている。

朝から遊んでいる。

それを知って、どうやらこれは「みんながやっていること」ではないらしい、と少しずつ分かっていった。

だからといって、すぐに宗教を疑ったわけでもない。

小学校低学年くらいまでは、親から教えられたことをそのまま受け入れていたと思う。

子どもには、自分の家以外の基準なんてほとんどない。

少なくとも僕にはなかった。

見てはいけないテレビもあった

教会に行くことだけが、他の家庭との違いではなかった。

クレヨンしんちゃんは見てはいけなかった。

異性同士が付き合うようなドラマも、あまり見せてもらえなかった。

理由は「子どもの教育に悪いから」というだけではない。

下品なものを見たり、よくないものに触れたりすると、サタンにつけ込まれる隙を与える。

そんなふうに言われていた記憶がある。

今になって書いてみると、かなり強烈な言葉だと思う。

でも当時は違った。

「サタンにつけ込まれる」と親に言われても、そこで「何を言っているんだ」とはならない。

そういうものなんだと思っていた。

それが僕の知っている世界だった。

悪いことの先には地獄があった

もちろん、宗教のある家でなくても「嘘をついてはいけない」と子どもに教えるだろう。

僕の家でも、嘘は悪いことだった。

ただ、その先にあるものが少し違った。

罪を犯せば、地獄に落ちる。

そんな感覚があった。

嘘をつくこと。

異性と付き合うこと。

キスをはじめとした性的なこと。

そういうものも「してはいけないこと」として教えられていた。

親に怒られるから怖い、だけではなかった。

本当に地獄があるのだとすれば、その先まで怖かった。

今なら、酒を飲んだから地獄に落ちるとか、キスをしたから地獄に落ちるとか、そんな話を聞いても馬鹿らしいと思う。

でも、それは今の僕だから言えることだ。

小さな子どもにとって、親から繰り返し教えられる世界はかなり大きい。

その外側に立って「これは本当なのか」と考えること自体が難しかった。

僕は宗教を信じていたのか

ここは今でも少し答えに迷う。

「子どもの頃は宗教を信じていましたか」と聞かれれば、たしかに信じていたことになるのかもしれない。

地獄を怖がっていた。

親から教えられたことも受け入れていた。

教会にも通っていた。

それでも、自分から信じたいと思って信じていた感覚はない。

信じていたというより、

信じるものとして教えられて、そのまま受け入れていた。

今の僕には、その表現の方がしっくりくる。

少なくとも小学生の頃の僕には、「信じる」「信じない」を自分で選んだ記憶はない。

日曜日になれば白いポロシャツを着る。

駅まで自転車で行く。

電車に乗る。

教会学校へ行く。

献金をする。

それが終わったら友達と遊ぶ。

その生活の中に宗教が最初から入っていた。

だから、疑う以前に日常だった。

その日常が、初めて大きくぶつかった

年齢が上がるにつれて、親から教えられたものをそのまま信じることはなくなっていった。

自分の家が周りと違うことも分かっていた。

それでも、すぐに親との関係が壊れたわけではない。

決定的に空気が変わったのは、高校生の頃だった。

彼女ができた。

そして、それが親にバレた。

異性と付き合うことは、子どもの頃から「してはいけないこと」の側に置かれていた。

でも高校生になった僕は、もう小学校低学年の頃のように「そういうものなんだ」と受け入れることはできなかった。

部屋で親と話し合いになった。

何をどこまで言ったのか、細かいところまでは覚えていない。

ただ、最後には僕が怒鳴っていた。

それまで僕の中で当たり前だった家のルールと、自分で選び始めた人生が、そこで初めて正面からぶつかった。

自分の気持ちを伝えるのが苦手なのはなぜか|宗教2世として幼少期を振り返る

私は、自分の考えや気持ちを他人に伝えることが苦手だ。

大勢の中でコミュニケーションを取ることも、あまり得意ではない。

何かを決める場面でも、自分から意見を言うより、その場の流れや空気に身を任せてしまうことが多い。

それなら何も不満がないのかというと、そうでもない。

自分では何も言わなかったくせに、「こうすればいいのに」と心の中では考えている。

そして誰にも伝えないまま、勝手にストレスをためてしまう。

面倒な性格だと思う。

ときには、人と会話すること自体がしんどく感じることもある。

だから、自分の考えや気持ちを自然に言葉にできる人を見ると、うらやましい。

コミュニケーションが得意な人を尊敬する。

私もそうなりたいと思い、この性格を変えようとしたことは何度もあった。

けれど、なかなかうまくいかなかった。

そこで今さらながら、「どうして自分はこんな性格になったのだろう」と考えてみることにした。

「おとなしくて良い子」だったらしい

0歳から4歳くらいまでの記憶は、ほとんど残っていない。

その頃のことは、後になって母から聞いた。

当時の母は、教会での布教活動に熱心だった。

活動が忙しくなると、まだ物心もついていない私を、いろいろな家庭に預けていたらしい。

その話をしていたとき、母が嬉しそうに言った言葉を覚えている。

「預け先では、おとなしくて良い子だって評判だったよ」

幼い私が実際に何を考えていたのかは、もちろん覚えていない。

ただ、4歳や5歳くらいになる頃には、「おとなしくしていると母が喜ぶ」という感覚が自分の中にあったように思う。

いろいろな家庭に預けられていた子ども時代

他の家庭に預けられる生活は、物心がついてからも続いた。

小学校の中学年くらいまでは、それなりの頻度で誰かの家に泊まっていた記憶がある。

最初のうちは楽しかった。

同じくらいの年齢の子がいる家なら、お泊まり会のような感覚だった。

けれど、時間がたつと寂しくなってくる。

家に帰りたくなったり、わがままを言ったり、ぐずったりすることもあった。

すると、預け先の大人が嫌そうな顔をすることがあった。

面倒くさそうな表情をされたこともある。

その瞬間、子どもながらに「まずいことをした」と感じた。

しばらく厄介な子のように扱われたときの、胸がキュッとなるような感覚は、今でも覚えている。

おとなしくしていれば、平和に過ごせた

でも、自分から「ごめんなさい」と言って、おとなしくしていると状況は変わった。

それ以上怒られることもなく、その後は平和に過ごせる。

似たような経験が何度か続いた。

すると、いつの間にか自分の中に一つの考えができていたように思う。

「自分の気持ちや感情は、表に出さない方がいい」

寂しくても言わない。

嫌でも言わない。

不満があっても、自分の中にしまっておく。

実際、それを守っていれば大きな問題は起きなかった。

周りの大人も機嫌を損ねない。

私自身も嫌な思いをしなくて済む。

子どもの私にとっては、それが一番安全な方法だったのかもしれない。

その経験は、今の性格につながっているのだろうか

今の私は、自分の意見を言うことが苦手だ。

人の顔色を気にして、その場の空気に合わせる。

不満があっても口に出さず、自分の中だけで抱える。

そう考えると、幼い頃の経験と今の自分には、どこか似ているところがある。

もちろん、子どもの頃に他の家庭へ預けられていたことだけが、今の性格をつくったとは言い切れない。

もともとの性格もあるだろうし、それ以外の経験も影響していると思う。

それでも私は、ときどき「あの頃の経験が今につながっているのではないか」と考えてしまう。

正直に言えば、「これが原因だった」と思いたい自分も少しだけいる。

理由が分かれば、今の自分を少し理解できるような気がするからだ。

一人で黙々と作業する方が楽だった

昔から、集団で一つの目標に向かって何かを成し遂げることより、一人で黙々と作業する方が好きだった。

誰にも何も言われず、自分のペースで進められる時間は落ち着く。

反対に、人と相談したり、自分の考えを説明したりする場面では疲れてしまう。

社会人になってからは、この性格によって生きづらさを感じることも増えた。

一人で仕事をしている時間はそれほど苦にならない。

けれど、ミーティングや進捗報告になると途端にしんどくなる。

何を話せばいいのか。

こんなことを言って大丈夫なのか。

相手はどう思うのか。

そんなことを考えているうちに、ただ報告するだけの場面でも必要以上に疲れてしまう。

宗教2世だから同じ、とは言えない

以前の私は、「宗教2世には、自分と同じような悩みを抱えている人が多いのではないか」と考えることがあった。

そう思うと、自分だけではないような気がして少し安心できたからだ。

ただ、宗教2世といっても育った家庭も、宗教との関わり方も、一人ひとり違う。

私と同じような経験をしたからといって、同じ性格になるとも限らない。

だからこれは、宗教2世全体についての話ではない。

あくまで私自身が、自分の過去と今の性格を結びつけながら考えている一つの記録だ。

この性格を変えるのか、そのまま生きるのか

今でも答えは出ていない。

もっと自分の意見を言えるようになるべきなのか。

コミュニケーションが苦手な部分を直すべきなのか。

それとも、「これも自分の性格だ」と受け入れて、自分に合った環境を探した方がいいのか。

以前は、とにかく性格を変えなければいけないと思っていた。

でも、何度か変えようとしてもうまくいかなかった。

だから今は、無理に別人になろうとすることだけが答えではないのかもしれない、とも思っている。

変えられるところは少しずつ変える。

変えにくいところについては、自分が生きやすい方法を考える。

そのためにも、まずは「なぜ自分はこうなったのか」を、自分なりにもう少し振り返ってみたい。

宗教2世として育った自分の過去を振り返る|今になって向き合おうと思った理由

私は、某宗教を信仰する両親のもとに生まれた。

いわゆる「宗教2世」だ。

今は社会人になり、親元を離れて生活している。幸いにも、私の過去を受け入れてくれる人と出会い、結婚することもできた。

だから今の自分だけを見れば、普通に生活できていると思う。

ただ、「もう過去のことだから」と片づけてしまっていいのかという思いは、ずっとどこかに残っていた。

私は「恵まれていた方」だと思う

宗教2世と聞くと、メディアなどで語られる「壮絶な人生を送ってきた人」を思い浮かべる人も多いと思う。

そうした話を聞くたびに、私は宗教2世の中では恵まれていた方だったのだと思う。

両親が宗教活動に極端にのめり込んでいたわけではない。

宗教教育についても、何もかも厳しく制限されていたわけではなかった。

私が宗教に対して不信感を持っていることを初めて両親に打ち明けたときも、頭ごなしに否定されることはなかった。

実家を出た今でも両親との交流はある。

私の考えについても、少なくとも以前よりは尊重し、受け入れてくれているのだと思う。

だから、「自分は大変な宗教2世だった」と言うことには、今でも少し抵抗がある。

それでも、残っているものがある

恵まれていた。

そう思っている一方で、幼少期から受けてきた宗教教育や、その中で経験したことが何も残っていないかと言えば、そうではない。

今でも思い出したくないことがある。

自分の中では、トラウマとして残っているものもある。

そして大人になった今、自分の性格や考え方を振り返ってみると、子どもの頃の環境から少なからず影響を受けているのではないかと思うようになった。

どこまでが生まれ持った自分の性格で、どこからが育ってきた環境によるものなのか。

正直、自分でもよく分からない。

なぜ今になって過去を振り返ろうと思ったのか

きっかけは最近の出来事だった。

自分の性格と置かれていた環境がうまくかみ合わず、結果として周りの人たちに迷惑をかけてしまった。

そこで初めて、

「自分はなぜ、こういう考え方や行動をしてしまうのだろう」

と、きちんと考える必要があると思った。

自分の生い立ちや性格を掘り下げれば、すべての答えが見つかるとは思っていない。

それでも、自分がどういう環境で育ち、その経験が今の自分にどうつながっているのかを知ることは、同じことを繰り返さないための一つの手がかりになるのではないかと思った。

思い出したくないから、考えてこなかった

これまで、自分の人生や性格について深く考えることを避けてきた。

理由は単純だ。

そこを掘り下げていくと、どうしても宗教のことを思い出すからだ。

今はもう、宗教から距離を置いて生活できている。

だからこそ、わざわざ過去を掘り返したくなかった。

思い出したくないことは、思い出さない。

それでいいと思っていた。

でも、自分の中ではどこかで分かっていた。

一度はきちんと向き合わなければならないのだろう、と。

これからの人生を、生きづらいままにしたくない

今まで生きてきた時間より、これから生きていく時間の方が長い。

できることなら、その時間を少しでも生きやすくしたい。

自分がなぜこう考えるのか。

なぜこんな場面で苦しくなるのか。

なぜ人との関係で同じようなことを繰り返してしまうのか。

宗教2世として育った自分の人生を振り返りながら、過去の経験や環境が、今の自分にどのような影響を与えているのかを考えていきたい。

同じような人に届けばうれしい

学生の頃、私も自分と似た境遇の人をインターネットで探していた。

同じような経験をしている人の文章を読むだけで、「自分だけではないんだ」と少し気持ちが楽になったことを覚えている。

だから、今度は自分の記録を残してみようと思う。

これは専門家による解説でもなければ、宗教2世全体を代表する話でもない。

あくまで、私一人の経験だ。

それでも、自分の人生を振り返って書いたものが、いつか同じような境遇にいる誰かの目に留まって、その人の気持ちがほんの少しでも楽になれば。

そうなったら、この文章を残す意味はあると思っている。